tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

情報の受け手のリテラシー

アイディアを想起させるノート


情報の受け手として、知識を整理するのって難しいな、と思う。話を聞いたり、本を読んだり、Webで調べ物をしたりするときに、ノートを取るわけだが、目的としては2つある。ひとつは本を通読したり、授業を聞いたりするときに取るノートで、本や授業の内容を追いかけるためのノート。系統的な知識を自分のものにするときに、そのプロセスを追体験したり、後から記憶を想起させるキーとなるようなものを作っていく。


もうひとつは、断片的な知識を残しておくためのノート。ブレインストーミングやWebで調べ物をするときなどにつけるメモのようなもの。最近自己組織化に関する本を読んだこともあって、それに影響を受けているのかもしれないが、人が新しいアイディアを生み出すときは、とにかくまずたくさんの情報を入れて脳の中を飽和状態にして、そこでとことん考えることによってなされる、と思っている。そのためのネタになるようなものを記録していくためのノート。そのノートをもとに考えてアイディアが想起されればよい。


この後者の場合のノート(というかメモ)をうまく取るためのツールを探しているんだけど、なかなかいいものがない。IT関係のツールはどうしても情報発信者のためのものが多いから。それを情報の受け手のノートとして(Wikiとかブログなどを個人用に使うなど)使うというのもよく言われるが、情報の受け手が発信者に変わるときには知識を整理することを要求されるし、その整理するプロセスまでは支援してくれない。

「黒板」と「ノート」の関係はどう変わるか


かつて教えることを仕事にしていたときには、ノートを取りやすいかということを結構意識していた。変に工夫せずに学生が中学、高校で身につけたノートの取り方のリテラシー(ない学生もたくさんいたけどね)に合わせるようにしていた。それ自身が研究テーマではなく、他のところで使うための道具としての知識を、できるだけ短時間で紹介するには、あまり脱線せずに一本道を着実に進んでいく、というスタンスで、ノートを取らせるというのはそれほど悪くはないやり方だと思う。ノートがあると学生は安心するらしいから、安心させるのも大切なのです(と当時は自分を納得させていた)。


で、何が言いたいのかわからなくなってきたが、従来の「黒板」と「ノート」の関係において、「黒板」がPowerPointやWebに置き換わってきたときに「ノート」が置き換わるものは何か?というのが私の疑問点なのである。ノートの取り方、なんてことを誰も教えてくれないという現状が、そのまま新しい関係の中でも継続しないでほしい。


教育における情報発信の方法がWeb的になるにつれて、上記のふたつ目のノートの取り方のようなものが求められるようになると思うんだけど、どうでしょう。実社会ではそちらの方が使う場面は多いような気がします。