tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

恐るべきお子さま大学生たち

恐るべきお子さま大学生たち―崩壊するアメリカの大学

恐るべきお子さま大学生たち―崩壊するアメリカの大学

この手の「困った学生」レポートは、そんなに珍しくない。この本に報告されている「課題図書を読まない学生」「授業にエンターテイメントを期待する学生」「成績は交渉で何とかなると考えている学生」「授業中に携帯テレビを見る学生」「評価の悪いことの責任は教師にあると考えている学生」などは、もはや日本の大学でもおそらく普通に発見できる存在だろう。最近はFDの名の下に授業評価が普通に行われるようになって、(もちろんまともに機能しているところはたくさんあると思うが)学生が教師を変えることができる「権力」を持っていると勘違いした場合の悲劇は第3章「学生に酷評された教師の運命」に書かれている。あまりに身近な体験なので笑えない。


でもこの本の面白くなるのはここからである。ジャーナリスト出身の著者は、自らがカレッジ教師として生き延びていくためにどのように変わったかをレポートしているのだ。学生、大学経営者の間の三角形のバランスを取りつつ、両者を満足させるために「お砂場実験」を敢行する。学生の評価をよくするためにはどのようなことをすればいいのか。教育はパフォーマンスだと割り切った結果、それは達成される。それで学生も経営者も教師自身もハッピーになれる。


もちろんこの現状に満足するわけではなく、第10章「これからの大学にできること」ではポストモダンの高等教育のこのような現状を認めたうえで、いくつかの問題提起をしている。

  • 教室における教授の役割の変化(知識の伝達者からパフォーマー、コンサルタント的な役割に)
  • 技術の進歩によって情報に直接アクセスできるようになった時代に、教授が果たすべきガイド的役割について
  • 質よりも技術を使って何かを創造したという行為の方が重要だとみなされる点について
  • 教育の消費主義によって陥りがちな成績インフレに対する対策

などなど。


日本では高等教育の現場についてここまで本音を書いた本はあまり知らない。杉山先生の「崖っぷち弱小大学物語」ぐらいか。ほとんどがエリート校での新たな試みや、教育そのものを研究している人のレポートなどばかり。泥臭い現場をのた打ち回っている人にぜひこのような報告の日本版をしてほしいものだ。