tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

離散化による非効率が発生するところで過剰競争がおきやすい?

思いつきの根拠のない仮説。

仮定

  1. 入力x(投資、教育、努力など)と出力y(リターン、成果、賞賛など)のシステムを考える
  2. x の一次出力 f(x) (テストの点だとか、競泳のタイムとか)は x に対して連続的で広義単調増加。(もしくは一意的には決まらないとしても正の相関を持つ)
  3. 出力yは f(x) の値をさらに評価関数 h で評価した結果 h(f(x)) とする。h も広義単調増加とする。

のもとで、

h が飛び飛びの値をとる、すなわち出力が離散化されている場合、入力で過剰競争が起こりやすい

という仮説を立ててみる。


連続量の投資(お金とか、時間とか、努力とか)の結果、離散的なリターンが得られる場合とは、例えば定員が決まっている試験の合格を目指す場合。努力の量(測れると仮定して)は連続的だが、得られる一次的な結果 f(x) (試験の得点)はほぼ連続でも、結果は合格者と不合格者の離散的な量。スポーツでも一次的な結果(競泳のタイムだとか、リーグ戦の勝率だとか)は連続量でも、賞賛されるのは優勝者だったりメダル獲得者だったりという離散的な量。

そのような状況の下では、一次的な結果は連続量でもリターンが得られるかどうかは、閾値(合格不合格の境目、3位と4位の差)を超えられるかどうかで大きく異なる。その境目の近くにいる人は、少しの投資量の差でリターンに大きく差がついてしまうため、過剰に投資する、つまりがんばりすぎてしまう傾向にあるのではないか。


世の中のシステムの多くが結果は離散的になっているので、うまく競争を促進しているのかもしれない。別にこれはこれで悪いシステムではないと思う。


ただ、後一歩のところで努力が報われなかった人、つまり出力がジャンプするちょっと手前の場合には、入力に対して出力は少ないと言う意味で、無駄が多い。多くの場合この無駄は社会システムではなく個人(団体競技ならチーム、つまりこの競争システムの参加主体)が負担している。「惜しかったね」とか「後一歩だったね」なんていう慰めの言葉をかけられて。こういう無駄が発生して個人が負担することについては、社会的にコンセンサスは取れている気がするけど、どうなんでしょう?


こういう無駄が少なく、かつ競争を促進できるようなシステムってあるのかな?