tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

オレ様化する子どもたち

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)

以前読んだ「他人を見下す若者たち」と同じような本かな、と思ったが、現場の教師の立場から子どもが変わったということを真摯に分析し、ジャーナリズムの教育に対する報道の問題点、教育論者の子供感に対する反論などを述べている良書。比べたのが恥ずかしくなるくらい「他人を見下す若者たち」よりもずっと訴える力が強い本。


議論は子供に対するいくつかの思い込みに対する反証をすることからはじめる。その分析作業において、戦後を3つのスパン「農業社会的」「産業社会的」「消費社会的」に分け、現在は消費社会的段階に入り、そこで子どもが大きく変化したという。自分を外から客観的に見ることができず、他との比較を拒否し、その結果幼児期からの全能感が温存されたのだという。


教師と生徒の関係が共同体的な「贈与」から市民社会的な「商品交換」になってきた、というのがこの本のキーワードになっている。教わったり叱られたりすることを「贈与」であると感じてきた共同体的な子どもが、市民社会的な子どもに変化して、教育行為を商品交換にしようとした結果によって、ルール違反した子どもが非を認めなくなってきたり、学級崩壊が起こったりするということを読み解いている。

市民社会的な子どもに対する教育として旧文科省は「新しい学力観」を挙げて、生徒主導の教育へ転換させようとしたが、失敗した。その反動としての安易な学力偏重論議に対しても警鐘を鳴らし、まず共同体的な規制と保護によって子供を一人前の社会的な「個」にすることが大事だという。


個人的な疑問だが、初等中等教育だけでなく、高等教育においても大学全入時代になった今、「オレ様化する子どもたち」は大学にまで現れていないだろうか?今の大学改革は、学生がすでに何を学べばよいかを理解していて、さらにどういう授業が良い授業かを判断できるものということを前提にしていると思うけど、実態はそうじゃないんじゃないかな?学生が求める授業を開講していて授業評価が高ければ、良い大学なのかな?そういう流れでサービス業化していく大学教育に違和感を感じていたので、その違和感のなぞ解きと、対案を挙げている点で、非常に興味深く読めたのでした。