tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

「弱い紐帯の強さ」の「弱さ」と「強さ」

1973年にグラノベッターが有名な「弱い紐帯の強さ」の理論を発表した。紐帯とは、人と人との関係のことを言う。ここでいう「弱い」とは、人と人との親密さ、接触頻度が小さいという意味で、一方「強さ」とはグラノベッターの理論の場合には、有効な職あき情報の伝達という意味で使われている。しかも対象者が職を求めていない状況のときという限定された仮定の下での話みたい。

そこからこのパラドクシカルな言説を一般化して論ずるのは危険ですね。少なくとも、直接的に「弱い紐帯」⇒「強い」というのがあるのではなくて、途中に弱い紐帯から得られる情報、というのがあって、それをある効用関数(よりよい職がないかを探す)で評価したときに、その情報が高く評価されるというだけのこと。


いわゆるスモールワールドネットワークの例のように、人間関係のネットワークがどのような性質を持っているか、に興味があるのだけれど、人がどのような人間関係を作るかは、その人の価値観(効用関数)によって決まるものだと仮定すると、その効用関数の形と、ネットワークの構造の間の関係を見出せないかなあ。

グラノベッターが言うように弱い紐帯から来る情報を重要視する人は、広く浅い友人関係を作る傾向があるだろうし、そういう人ばかりのネットワークは大域的にどういう構造を持っているんだろ?逆に局所的なコミュニティの中での地位を重視する人(会社の中での出世とかね)は、強い紐帯の密接な関係を重視して狭くて深い人間関係を作るだろうしね。そういうネットワークの構造はどういうところが違うのかを、判別できると面白そうだ。


社会関係資本」っていうのは、つながり=関係の価値を測る尺度のようなもの、と理解している。社会関係資本を豊かにするって言う話に反対する人はいないだろうけど、価値の測り方は一意じゃないから話が政治的になってつまらない落とし所になってしまうのかもしれない。





参考にした本:

社会ネットワーク

社会ネットワーク

1990年の発行の本なので古いんだけれど、インターネットの意味での「ネットワーク」の影響を受けていない時期の考え方をざっとおさらいするのにはいいかも。これをネタにもうちょっと専門用語を復習しよう。