tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

誰のためのデザイン?

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

「デザイン」とは言うまでもなく「設計」のことである。日常の道具を人はどのように使うか、そのためにはどのように設計してあるのが使いやすいのか、について認知科学的な視点と多数の実例から論じている書。人に使ってもらうもの、システム、などを作っている人はこういう視点で一度は考えてみたほうがいいと思うけど、そのきっかけになる本だと思う。この本で言っているよいデザインの4項目は覚えておいたほうがいいと思うので、引用しておこう。

  • 可視性
  • よい概念モデル
  • よい対応づけ
  • フィードバック

人間がどのように道具を使って作業をするか、内と外の知識をどのように結びつけるか、誤りの分類、などエンジニアリングというよりも(副題どおり)認知科学的な話が多い。特に重要な概念はアフォーダンスだろう。この本では、「そのものをどのように使うことができるかを決定する最も基礎的な特徴」の意味で使っていて、ドアのアフォーダンス(引くドアなのか、押すドアなのかなど)で説明している。アフォーダンスとは使い方に関するメッセージだと考えればいいと思うんだけれど、よいデザインはアフォーダンスを表現するのに、制約をうまく使っている(押すドアには平板が、引くドアには横棒がついているといった)とのこと。なるほど。自由に使えるようにするだけがいい設計ではないのね。

この本の最後のほうには、デザインの課題と近未来の予想が書いてあって、文章を書く方法としてハイパーテキストが実用化したときの予言

この技術が新次元を開拓してそれが理解されるようになるまでには、たくさんの実験が必要だし、数々の失敗もあるだろうと予言しておこう

は、現在においてもある意味適切で、文章を一本の直線状に並べなくてよいと言うことのトレードオフを指摘していると思う。情報に関しては、検索コストが膨大になるとか、膨大なデータベースから検索するのは困難になるとかいう予言をしているけど、これは Google 以前の話(原著は1988年)だから仕方ない。

芸術畑の人間を集めて「デザイン部」なんて名前をつけているソフトウェア会社は多いと思うけれど、ユーザーインターフェースが無視されて、アフォーダンスもフィードバックも適切でなく、芸術家の細かいこだわりばかりが強調された「デザイン」になっていたら、それは最悪だ。ソフトウェア開発者としても、機能を追加するとか、可視化するとかいうことはわかりやすいのだけれど、よい設計をする(うまくアフォーダンスを表現する)というのは難しいし、したところであまり評価されないことなのかもしれない。だから使いにくいソフトウェアが多いのかな・・・・・。

でも最近は特に Web 上のインターフェースはかなりよくなっている。話題の Web2.0 はエンドユーザにとってのインターフェースと、開発者にとってのプラットホームの両方の意味で、アフォーダンスが明確になった、という面があるんじゃないかな。