tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

学者のウソ

学者のウソ [ソフトバンク新書]

学者のウソ [ソフトバンク新書]

学者社会の痛烈な批判本です。ただし、単なる批判だけに終わっていなくて、ウソを見破るための手立てとして、言論責任保証の試みを提案して実行に移しているところが他の「ウソ本」とは一線を画しているところ。

第1章は住基ネットやゆとり教育などにおいてどのような学者の「ウソ」が語られたかということの紹介。著者の属する理系学者の世界のウソ*1も挙げて自省しているので、この章の目的は糾弾ではないと思いますが、ゆとり教育論者の視点の欠落や「女性学」の学者による議論の捻じ曲げ批判は痛快です。他の章でも繰り返しフェミニストを批判していますが(個人的には共感します)、こういう批判が通用する相手ではないので無益な政治的争いにならないかどうかが心配です。

第2章は学問の本来のあるべき姿を議論。方法論を科学史的に振り返り、自然科学が発展、巨大化するにつれ、帰納主義の限界が露見してきたことを概説しています。社会科学はその性質上もともと帰納主義による予測が困難なことを挙げ、理系も文系も予測をすることが難しくなってきたことという現状認識を確認しています。

第3章の前半はマスコミ・ジャーナリスト批判からエリート論。「弱者ごっこ」論法は内田樹「ためらいの倫理学」にもよく似た議論がありましたが、自分が弱者である(ように見せかける)ことを正当性の根拠にしようとする論法。フェミニズムや格差論者のエリートがこの論法を使っていることを暴いています。エリート論と関連して仕事の難易度を測る指標としてロボットやコンピュータでその仕事をさせることができるかというものを挙げているのは面白いです。医者や弁護士よりも看護士や介護士や保母の方が難易度が高いだろうということです。代替させるということの定義はあいまいだし、医者や弁護士などの仕事が社会的に高度だと認められているからこそ機械に代替させようという研究が進んでいるというわけでもあるので、単純にこの指標を信じるわけにはいかないが、視点としては斬新だと思いました。

第4章がこの本のキモ。言論責任保証の仕組みの提案です。著者は実際に立ち上げてもいます。簡単に言うと言論を発表して得られた収入を一部預託して、論争が決着した時点で分配するという仕組み。未来の人の判断は正しいということが前提になっていることや、評価基準があいまいなことなど運営面はまだまだ問題はありそうだと思うけど、アイディアとしては面白いですね。

著者の意図としては、若手の研究者や言論者に言論責任保証事業に参加してもらいたいというメッセージがあるのかと感じました。

ただ「ウソ」の背景には官僚の世界はいうに及ばず、学者の世界も問題を解決することよりも予算を取ってくるほうが高く評価されるようなシステムになりつつあるということがあると思うので、根本的な解決は難しいかなとも思います。

社会科学系の研究者の人が読んでどう感じるのか感想を聞きたいです。

*1:「理系学者のウソ」に対して、「文系学者の大ウソ」と書いていますが