ウェブ社会の思想
ウェブ社会の思想―“遍在する私”をどう生きるか (NHKブックス)
- 作者: 鈴木謙介
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2007/05
- メディア: 単行本
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根っからの理系人間のせいか、こういう議論はあまり面白くなかった。最初のほうでウェブの(というより情報関係全般の)技術の概説とその問題点の指摘があるけど、残りは「ウェブがある」社会と人との関係、というよりもむしろ「宿命論」だ。ウェブはその主題のための枕に過ぎない。最初の技術論は情報系の人間からすれば常識に近い話がほとんど。
なので、読むべきは第三章。行動やメールなどの発言が電子媒体に蓄積されることで、記録から自己物語を生成するプロセスが変化し、人の記憶よりも記録が優越化する。そのときに、偏在化した情報からのリコメンデーション・システムが宿命の提示となりうるのではないか、というのが著者の意見。
私の主たる関心は、この宿命的決定論が、自己によって語られる、すなわち自己の欲望に担保された物語でなく、情報化によって蓄積された私のデータに基づいた、端的な事実として受け入れられていく傾向が、現代社会において見出せるのではないかというところにある。(P107)
確かに、こういう発想は技術屋にはないものだろう。そういう意味では面白い問題意識だと思う。
第四章は、ある事件から感じた「感想文」とマンガとシェークスピアを題材にした文芸評論。この章の存在意義がよくわからない。第五章は集団的記憶とネット右翼論(というと単純化しすぎかな)。
第六章の前半はEPICの説明。その後民主主義のアーキテクチャ論に。そこで「数学的民主主義」と「工学的民主主義」の対比が議論されているが、前者はグーグル−EPIC的な民主主義が志向するものとしているが、たぶん著者の造語。
公的意思など持たなくても人びとが自分の利己的な動機で行動することで社会が維持されるように、それが設計される(P218)
だそうだが、アダムスミス以来昔からある考え方のような。単なる言葉遊びの域を出ていない気がする。
著者は頭のいい人なんだろうけど、詰め込みすぎでテーマがぼやけちゃった感じ。こういうごった煮的な本が好きな人にはお勧め。私は消化不良でした。