tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

伽藍とバザール

伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト

伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト

Web でも読める。The Cathedral and the Bazaar: Japanese


収録されているいわゆるオープンソース4部作のうちの最初の「伽藍とバザール」が最初に出たのは1997年のことなので、もう10年前だ。もはや古典ともいえる論文集なんだけど、実はまだ通して読んだことがなかった(恥)。

この論文の内容を下敷きにしたと思われるオープンソースのビジネスモデルの話や、集合知の話はあちこちで読んだりするんだけど、それらが「ありがちな話」と言う印象を持ってしまうのに対して、このレイモンドの論文は今でも輝きを失っていないように思う。最初の「伽藍とバザール」は開発者視点に立って、バザール方式の開発手法がなぜ有効かという話。2番目の「ノウアスフィアの開墾」はオープンソースの開発のコミュニティ論で、ハッカーたちの行動を「贈与の文化」というモデルで説明している。現在では言い尽くされた感もあるけれど、オリジナルの議論はやはり新鮮で、個人的にはこれが一番面白かった。プラグマティストの立場にいることも共感できる部分が多かった。


これ以上、今さら要約しても仕方がないので、気になったところをメモ。

【教訓13】「完成」(デザイン上の)とは、付け加えるものが何もなくなったときではなく、むしろ何も取り去るものがなくなったとき。(P36)

ここにはもっと面白い可能性がある。僕の推測だけれど、学問の世界とハッカー文化が同じ適応パターンを示すのは、それが出自の点で親戚だからではなく、物理法則と人間の本能の仕組みが発生したときに、それぞれ自分たちがやろうとしていたことを実現するための、唯一最適な社会組織を発達させたせいじゃないだろうか。(P135)