tkenichi の日記

毒舌皮肉系恥さらし日記

ゼロ戦から夢の超特急

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交通新聞社新書という大きな書店じゃないと見つからないかもしれない新書のシリーズの1冊。鉄道好きのはしくれとして、小田急ロマンスカーは今でも憧れだし、初代ロマンスカーが当時の狭軌での世界最高速度を出したこともエピソードとしては知っていた。日本に数少ない連接車の構造をしているということも、鉄道好きなら常識かもしれない。ただ、その開発に至るまでの経緯はあまり知らずにスペックだけを知っていたにすぎない。この本はロマンスカーの開発に至るまでの経緯を内部の人間に焦点を当てて紹介したもの。日本の物づくりの伝統、ここにありと言うところ。鉄道好きな人だけでなく、エンジニアリングの話が好きな人は楽しめるはず。


ポイントはいくつかある。
1) 他の分野の技術者の活躍
2) 制約の中での困難の克服
3) 民と官の関係


1) は戦争中に海軍で航空機の開発に携わっていた技術者の多くが、戦後は鉄道の研究を行い、振動や流線型の車体など航空の考え方を鉄道に適用することで大きな成果をあげたこと。2) は今から思えば不思議なことだが、敗戦直後、欧米諸国では鉄道はもうそれほど発展しないと思われていたそうだ。そんな中で電化を進め、のちの新幹線につながる電車による超特急構想を様々な困難を乗り越えてやり遂げたこと。それまでのやり方に慣れてしまっている現場や上の世代の人間を説得すること、というよりもむしろそういう人たちを納得させるような結果を出したこと。また、営業運転で使うには、内装や制御装置も求められた基準をクリアしなければならない。まさにエンジニアリングとは制約の中での最適化であることを再確認させられた。3) は民間鉄道会社である小田急と当時国営の国鉄の関係。狭軌の当時世界最高速度を出した走行実験は小田急の線路ではなく、国鉄の線路を使っていたのだそうだ。それ以外の技術協力も活発だったらしく、小田急が当時としては斬新な電車特急の設計をし、その成果を国鉄も利用するという、今ではあまり考えられない関係があったのだそうな。


古き良き時代の話として懐かしむのもいいが、閉塞感がある今の時代に科学技術で国を発展させようとするのなら、初心を思い出す意味で読み返すべき本かもしれない。